日別アーカイブ: 2016年4月15日

関宿水閘門

関宿水閘門02

 

昭和2年完成の日本初の大規模コンクリート建造物、現在でも現役の水門です。
いざとなればこの水閘門は立派に稼働します。関宿水閘門が竣工し、役目を終えた関宿棒出しは撤去され、関宿周辺の川の流れが現在の姿になりました。

ところで、関宿水閘門は全部で3つに構成されています。
八門のゲートがあり、水量の調節を行う低水路、船の行き来を可能にする閘門、そして洪水のときに水を通す高水路に分かれています。また、高水路と低水路の間には背割堤である中之島公園があります。

この公園にあるコブシの大木は関東でも最大級の樹木として大切に管理されています。

鈴木貫太郎記念館

鈴木貫太郎記念館

郷里の関宿に戻られた晩年の鈴木閣下は国の復興は農業からとのお考えから、特にらくのうの振興をお勧めになられました。

稲作と酪農を組み合わせ、河川敷の草地をも利用しり農業はその後の関宿の農業モデルとなりました。
復員してきたばかりの若者23名が「農事研究会」を設立し、閣下は知人である能楽の権威を自宅に招き、講義をその若者たちに聞かせるなど全面的に支援をされました。

閣下の最後はひっそりとしたものでわずかな身内と農事研究会の若者達が見守るだけでした。
ご遺体の火葬は船で渡って対岸の堺町におこなわれました。
そのときご遺灰の中から二・二六事件のときに放たれたピストルの弾丸が出てきたときのことでした。
弟の孝雄大将によれば無理に摘出しなかった首に残った弾丸だったそうです。

関宿城埋門

関宿城埋門近景

 

この埋門は東高野にあります。明治8年の城の破却の時にこの地に移されたと言われています。
城にあった11箇所の門のうちの1つにあたります。
お城の通用門として造られた門であり、通称「四ツ足門」と呼ばれていました。
瓦には久世家の家紋「並び鷹の羽」があり、杜氏の威容が伺い知れます。
現在、保存状態が大変心配されています。

関宿城

関宿城全景

古くは古河公方の家臣簗田成助が築城したと言われています。1671年に天守閣が破損して、御三階櫓を江戸城富士見櫓を模して建築されました。
現在の天守閣(正式には御三階櫓)も江戸城のものを模して建築されています。

1875年には民間に払い下げられてお城の建物はほぼなくなりました。
しかし同じ関宿の實相寺にお城の本丸にあった新御殿が移築されています。
これは、房総地域では唯一お城の本丸にあった建物が現存していることになります。